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大人達の象徴

「こみさんて何人兄弟ですか?」
「五人すよ。しかもみんな男」
「えぇ!お母さん大変だったでしょ?」
「うん、たぶん。そうだったと思う」

幾度となくそういう会話をしたことか。

両親ともに大家族の家系である。
父は9人兄弟姉妹の長男。
母も9人兄弟姉妹の末っ子。
だからと言う訳でもないが僕ら兄弟が5人というのは
驚く人数では無かったように思う。
あくまでも親戚家族内の比ですが。

お盆、お正月なんて日にはもう何十人という
親族が本家に集まりワイワイ、ガヤガヤと賑やかにしてましたね。
叔父さん達は酒を酌み交わし楽しそうな話で盛り上がってたし
遊び盛りの僕ら兄弟も従兄弟達とそこら中を走り回って
よく叱られたりしたものでした。

「はいはい、子供なんかはもうお家に帰りなさい!」
それが子供達にとっておひらきの言葉で各々の家に帰らされる。
でも僕にとっては嬉しい言葉だった。
家には両親はいない。
好きなだけ漫画も読めるし、隠し持ってたお菓子も食べられる。
テレビだって見れるしね。
夢のようなひと時。


子供達を家へ帰した叔父さん達はお酒を酌み交わし大声で笑いながら
見事なまでのオチのついた”すべらない話”もあったり
立派な口上を述べながら乾杯のご発声したり
時には激論を交わしたりもしてましたね。
そこは兄弟、従兄弟、親戚といえど大人の男の社交場の様でした。

今思えばその宴には唄、三線が無かったな。
もしかしたらあったかもしれないがそれは僕達が帰った後だったかもね。
祖母の兄弟はとぅばらーまチャンピオンだったそうだし。

子供達が眠りについた頃の大人の楽しい宴だったんでしょうね。


一方、伯母さん達は客人を迎える為に料理を段取りよく
各々が自身の担当をテキパキとこなしてました。
ボスである祖母が指揮をとり、時には叱咤したりと。

ある意味そこも女性達の働く食堂の厨房のようでした。
でも皆さんギャハハと笑いながら賑やかにしてましたね。
そこも伯母さん達の社交場だったんでしょう、おそらく。
しゃべくりまくってたもんね。


今となっては楽しかった思い出。
年々灯が消えつつあるのはしょうがない事。


でも子供だったからこそ敏感に感じとってたのかも。
昭和の時代のあの頃の島の空気と年に数度の大人達の所作を。

そこにはちゃんと大人の居場所があって格好の見せ場がありましたからね。



泡盛、刺身、天ぷら、三枚肉、かまぼこ、シークヮーサー
爪楊枝、蚊取り線香、扇風機、煙草、灰皿
真っ赤な顔、大きい声、悲惨な戦争の話、兵隊の頃の話。


僕にとっての大人達の象徴でしたね。



先日お亡くなりになられた伯父さん。
背筋が伸びていつも凛々しいお姿が思い浮かばれます。
気品のある話口調でした。
数年前、父が亡くなった時にずーっと棺のそばで無言のまま
何日も何時間もいてくれた事には頭が下がりました。
島の昔ながらのお葬式の慣習を少しだけお話下さった事は
よく憶えております。


思い出をありがとうございました。


謹んでご冥福をお祈り致します。



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by komikenji | 2017-01-12 13:47